On my own

「元・追跡部門観測部隊電海観測班潜行手リントン・マクスウェル。会いたかった。君の離反を知って以来、その鳶色の瞳に焦がれないことなんて片時として無かったよ」
「熱烈な愛の告白をありがとう、追跡部門追跡部隊徒士班、ミズ・メイファ。だがそれは、こんな路地裏でなくシーツの上で聞きたかったね。……“追手”随一の感情制御能力を、まさかこんなに早く身をもって知ることになるとは」

瞳孔の収縮と共に心臓の高鳴りが治まっていく。目の前の男が、魅力的な人間から小汚い鼠へと変貌を遂げていく。自身の冷静転化を確認して、私は口角を上げた。

「“お前”もよくやった方だ。追手の逆探知なんてそう出来るもんじゃない、それこそ私と同系統、追跡の能質でもなければ」
「そこまで読むとは鮮やかだ。残念ながら俺のそれは、君のそれには遠く及ばなかったようだが」
「お前が劣っていたわけじゃないさ。能質は同じでもベクトルが違う。お前のは収集。私のは……」

言いかけ、止めて、後退る。両膝を撃ち抜かれて動けないらしい男が驚き顔で私を見上げる。私の瞳はそれを映すが、私の心には映らない。

「どうした。殺さないのか?」
「……」
「まさか、追手が獲物に惚れでもしたかい?……逃してくれるのか?」

男の瞳に希望の光が射した瞬間、辺りに旋風が巻いて、収まったそこには豪華絢爛なダンスホールが広がっていた。二級結界『鹿鳴館』展開領域4×4。サエグサの十八番だ。

「お生憎様、私はただの猟犬だ。たまには直接手を下すが、今回は私じゃない。お前は今から、お前自身の衝動のままに、踊り狂って死ぬんだよ」
「な……」
「是非とも楽しんでくれたまえ、リントン。お前の為の舞踏会だ。魂が磨り切れるまで踊るがいいさ」

貴紳淑女達に揉まれて断末魔の叫びを上げるリントン・マクスウェルへ背を向けて、扉を出たらもう何もない。それまで確かに存在していたビロードも、シャンデリアも、勿論男も霧散霧消だ。感情制御を解く。同時に酷いめまいが襲って、私は前へ倒れ込んだ。

「……ああミカ、悪い」

ミカが気遣わしげに……と言っても彼はシールドを上げないので、本当にそういう顔をしてるのかは分からないが、とにかく仕草だけは……私を案じるように身体を受け止めた。

流石に3週間もぶっ通しで感情制御していると、そちらにつられそうになる。資料の知識と偶にすれ違った程度の記憶しかない筈のリントン・マクスウェルの事を、随分長いこと好いていたような気がしてしまう。彼の眼に一瞬射した希望のきらめきが、今になって指先の血を逆流させる。馬鹿馬鹿しい。奴は大罪人だ。観測班として得た情報を、外へ売捌いていやがったのだ。“焚書”以外にどんな末路があるというんだ?

ミカに支えられつつ顔を上げると、サエグサが丁度本部への報告を終えたところだった。

「メイファ、本件の事後処理は私が。貴女は直帰し、明日は休息を取り給え。勝手だが許可を先程得ておいた。……長丁場だったからな。貴女らしくなく、酷い顔色だ」
「……」

普段なら断るが、そんな気力もない。

「ああ……じゃあ、悪いがお言葉に甘えさせて貰うよ、サエグサ。ミカも、悪いけど……」

手を振る二人に軽く応じ、一人帰路に着く。夜明けまでまだ随分ある。


「ただいま……」

言ったところで応じる者などいるはずもない。勝手知ったる部屋の中、電気もつけずに寝室へと歩く。着替える気力もシャワーを浴びる体力もなく、着の身着のままベッドへ倒れ込むと、前髪が目に入って涙が出た。

……奴はああなって然るべきだった。奴はただの獲物だった。分かっていても、喉が攣る。感情。本来操り得ないそれを都合よく弄くりまわしていると、たまにこうやって釣りがくる。仕方ない。溶け泥んだ残りカスが淘汰されるのを待つしかない。布団の上、膝を抱えて眼を閉じる。瞼の裏の闇の底に、奴と奴の恋人だった女の写真が沈んでいく。彼女は奴の末路も知らず、ただ突然訪れた不通に、痛みを覚えながら生きていくのだろうか。どうかなるべく早く、それが鈍っていくように。まるで自分に言い聞かせるようだと嘲笑いながら、意識もまた、写真の後を追った。



泥の海から起き上がるように、重い頭をのたりともたげていく。瞼が上がるにつれて認識するもの。シーツ、前髪、パジャマの袖。パジャマの袖?一気に覚醒して跳び起きる。カーテン越しの柔らかな日差し。ベーコンとパンの焼ける匂い。ここは自分の部屋じゃない。ここは……

「あ、起きたぁ?」

寝室のドアが開く。ひょこっと顔を出した女こそが、この家の主だ。

「びっくりしたよぉ、もう。帰ってきたら、服のまんまでメイファが丸まってるんだもん」
「……ごめん、ロキシー。私、自分の家に帰ったつもりで……」

昨日の晩は感情制御の影響で限界まで疲れ果てていて、ほとんど歩きながら眠っているようなものだった。だからといって家を間違えるか?そう思ったものの、実際目を覚ましたら違う家にいるんだからしょうがない。

「いいよぉ疲れてたんでしょ?いっつもあたしがちょーっとつついただけで目を覚ますのに、着替えさせても起きなかったのよ。それより朝ごはんできてるの、食べましょうよ、ほら早く!」

朗らかに笑ってロキシーが私の手を取った。その手があまりに温かかったので、つられて私も笑ってしまった。

「それにしても、3週間もどこいってたのぉ?連絡取れないし、家にもいないから心配したのよ!」
「ほんとごめん、仕事で……危険な状態の患者だったんだ、原因が特定できなくて……」
「じゃあ、3週間ずっと、病院に泊まりっぱなしだったわけ?」
「うん……あ、いや、病院が借りてる寮があって」
「ふぅーん?」

怪しいなあと言いながらロキシーは私の髪を摘んでちみちみと切っている。鏡に映る自分の風貌はどう見ても医者には見えない。嘘が苦しすぎる。「ま、信じてあげるけどぉ」ロキシーが言ったので胸をなでおろすが、そろそろ誤魔化しが効かなくなってきた。何か上手いのをもうちょっと考えておくべきかもしれない。

鏡の中の自分の髪が切り揃えられていく。毎日見ている自分では変化を感じられていなかったのだが、彼女から見れば「身だしなみサイアク」というレベルで伸びてしまっていたらしい。確かにこうして整えられていくと、さっきまでの自分とは見違える。

「君、娼婦やめて床屋になれよ」
「メイファがお医者様やめるならねぇ」

出来ない相談だ。やってもないんだからな。言えるわけもなく、苦笑いだけに留めておく。私の内心を知らないロキシーは「美人になったわよ」と鏡ごしに言って笑った。


街を歩く。銀杏並木が色づいた葉を落とし、足元が黄金色に輝いている。意気揚々と前を行くロキシーの髪と同じ色だ。両手に抱える箱の山さえなければ、この素晴らしい景色をもうちょっとよく眺められるのだが。

「ロキシー、まだ買うのか?」
「とーぜんよぉ!この3週間、荷物持ちがいなくておちおち買い物にも行けなかったんだもん。きっちり付き合ってもらうからね!」
「わかったよ……でも、靴はもういいだろ?君の足は2本しかないんだぞ」
「んー、それもそうねぇ。じゃあ、次は鞄かしら!」
「やれやれ……」

踊るような足取りのロキシーを見ていると、昨日までの出来事が遠い昔に起こったことか、まるっきり夢だったような気さえしてくる。今ここで彼女と過ごしている日常こそが私にとっての全てで、あれは全部他人事、映画か何かで追体験しただけの記憶なのだと錯覚しそうになる。それではいけないのか、それでいいのか。私にはどちらがいいのかわからない。でもとりあえず今は、こうしてロキシーと歩く秋の往来が好ましい。


そう思った時だった。


瞳孔が一瞬で開く。ロキシーが指差した大通りを挟んだ向かいの店、その前に、冷めた目をした女が立っている。真っ直ぐにこっちを見ている。全ての音が遠くなる。私はその女を知っている。

「ロキシー」
「なぁにメイファ。って、どうしたの?そんなおっかない顔……」
「タクシー乗って、すぐ帰れ。今日はもうこの通りに近づくな」
「えぇ?でも、まだあのお店……」
「ごめん。今度また付き合うから」
「ちょっとぉ!」

抗議を続けるロキシーと箱たちをキャブへ詰め込んで送り出す。そのテールランプを見送って再び顔を上げると、女がこちらを睨め付けながら、店と店の路地へ消えていった。誘われている。……手袋をはめる。コートのポケットで携帯が鳴る。処理班のイゴールだ。

「喂?」
『メイファか、イゴールだ。休み中すまないが、観測班が下手こいた。昨日の潜り手のガールフレンドだが、どうやら先んじて知っちまったようだ。アパルトマンはもぬけの殻だった。潜り手が手にしていた情報を握っている可能性がある、発見次第“焚書”処理との…』
「みたいだな。目の前にいる」
『どういうことだ?』
「偶然なら運命的。必然なら全く、私を凌ぐほど情熱的だ。後を追う。ミカとサエグサに連絡してくれ」

直にGPSを追って援護が来るだろう。罠と分かっていても今は行くしかない。


一本通りを外れるとスラムのような街並みは、慣れない者の行く手を阻む。それでも姿を晒した以上、“ストーク”の能質を持つ者から逃げ切る事は出来ない。私は追手。追うことしか能のない者。ありとあらゆる神経を繰って、私の身体と感情はただ一本の執念になる。

ダストボックスを飛び越え、金網を登り、階段を飛び降り、なおも奥へと進もうとする女の動きは鈍りつつある。明らかに足がもつれている。足を緩めて銃を撃つ。威嚇の一発だったが、女は咄嗟に地へ伏せた。肩を起こして仰向けにさせる。その唇に銃身をねじ込んだ。

「か……はッ……!」
「逃げられないぜ、姑娘。あの潜り手の女なら、私たちのことはよく知ってるだろう?お前が何を思って此処へ私を誘ったか知らんが、能力を持たない人間が我々を相手取って敵討ちだなんて考えたのが間違……」

女が目だけでニヤリと笑う。違和感に咄嗟に飛び退いた瞬間、銃弾が前髪を掠めた。弾かれたように目を遣る。急激に感情制御の精度が落ちる。

「はっ……はっ……」

震える手で、ロキシーが銃を握っていた。

「何故、あなたは」

女が体を起こす。

「わたしが“無能”だと、信じて疑わなかったのかしらね?」

女の指が、震えるロキシーの首へ絡みつく。

「わたしは支配の先天者。自分の力がどこまで通用するのか半信半疑だったけど、世界線にすら触れるあなた方に見破れなかったのなら、“奇跡”と言っていいかしら?」

それともあなた方が特別無能なのかしら

頭の中に声が響く。腕が動き左手が台尻を支える。

「ッ……!」
「噂の““機関””がどんなものか、ちょっと知りたかっただけなんだけど……大したことないのね。わたしでも掌握できるかしら?」

照星がロキシーを捉える。対する彼女は、私へ銃口を向けている。彼女を撃てば、とりあえずは生き延びられるのだろうが……

感情制御が効かない。散瞳しきった眼に、秋の夕暮れの日は眩い。ロキシーの髪が光を浴びて煌めいている。自分にはないその色が羨ましかった。その笑顔はいつも名前の通り輝いて見えた。彼女を欺いていることが苦しかった。幸せになってほしいと思っていた。にも関わらず、私は長居しすぎたのだ。自身の安穏の為に。追うことしか能がないというのに。

私は諦めた。
ロキシーに向かって
「さ、よ、な、ら」
と唇を作る。
女がニイ、と微笑んだ。
渾身の力で、引き金から指を剥がす。


瞬間、チュンと軽い音がして、女の頭が弾けた。


今度こそ順調に感情が凪ぐ。倒れた女は痙攣しているが、あれは純粋な反射で、直にただの死体になるだろう。構えたまま、私はロキシーから銃を取り上げる。手袋越しでも火傷するほど熱を帯びていたが、たとえ手のひらの皮膚が全部貼りつこうともよかった。

「ロキシー」
「あ……」
「ロキシー」
「あた……あたし、撃っ……」
「大丈夫。君は悪くない」

至近距離で脳髄を浴びたロキシーは、しゃがみ込んで嘔吐する。背中をさすってやりながら、私は考える。何が起こったのか。どうして能力のない彼女が支配を解くことができたのか。……違う。

解いたのではない。

背後に革靴の音を聞く。確信する。ロキシーが解いたのではない。より強い力がその支配を“上書きした”のだ。

「お怪我はございませんか、フロイライン」

私たちの上に影を落としたのは白髪の老紳士。サイキック部門統率長、通称“寛大なるメイガス”。上層階級“マギ”の中において、最も人間への慈悲の深い男。奇跡班擁する部門を制御せしめている時点で、並みの能力者であれば昇華だろうが先天だろうが、到底敵うはずもない。

「可哀想に、頬が真っ白だ。さぞ怖い思いをされたことでしょう」
「……申し訳ありません、メイガス。私の力が及ばず、市井の者を危険に晒しました」
「梁 梅花。君の心中は察するが、今は彼女の痛みを癒すことが先決でないのかね」

彼の声を合図に処理班の連中がやってくる。動揺を見せるロキシーを取り囲んだ彼らは、じっと老紳士の指示を待っている。

「め、メイファ……この人たちは……」
「さて、梅花。君の選択については眼を読ませて頂いた。その選択を私は尊重しよう。改めて私から、彼女へ伝える必要があるかね?」
「いえ、どうせ消えるものです。知る必要もないでしょう。……ご厚情、感謝致します」

メイガスが左手を上げると、処理班の背中でロキシーの姿は見えなくなる。彼女が殆ど悲鳴のように私の名を叫ぶ。

「メイファ、メイファ!!」
「さよならロキシー。今までありがとう」

日の落ちた今、心はもう響かない。悲鳴は徐々に収まっていき、やがてふつりと途絶えた。

「ひとつ宜しいですか、メイガス」
「何かね」
「何故、彼女に撃たせたのです。彼女でなくても良かったでしょう」
「彼女も」

紳士は柔和に微笑んだ。

「君と同じことを望んだのだよ」



目を覚ます。ブラインドの隙間から射す僅かな光が朝を伝える。本格的に冬が来たのか、室内というのに吐く息が白い。黒いニット、黒いスキニー、トレンチコートだけが色といえば色か。ずっと仕事続きだったから、袖を通すのは久々だ。手に取ると、襟から乾いた銀杏の葉が落ちた。

久しぶりの休暇をどう過ごしたものか。考えている間に足が勝手にそこへと向いた。大通りに面した鞄の店。常用しているショルダーバッグのベルトが切れかけていたのを思い出し、それが理由ということにする。入ったことのない店だったが、雰囲気が自分好みでほっとする。かつて一緒にここに来ようと言った女性とは、正直好みが合わなかったから。

並ぶ鞄を見る。どれも魅力的で、どれも大差なく見える。買い物をするにはおおよそ向かない心情を吹っ切るように棚のひとつへ手を伸ばすと、横から来た手とぶつかった。
「ああ、失礼」
「ひゃ、すみませ……」

手を引っ込めた相手が目を丸めた。

「……何か?」
「あっ!すみません。お姉さん、かっこよかったから……」

彼女は人懐っこく笑い、それから私の顔をじっと眺める。

「前にどこかでお会いしましたっけ?」
「さあ……東洋人は見分けが付きにくいですからね」
「ひどぉい。お姉さん意地悪ですねぇ」

女性があからさまに頬を膨らましたのでつられて笑った。鞄は彼女に譲り、私は店の出口へ向かう。ドア横に控える店員が恭しくお辞儀をする。もう此処には来ないだろう。

「あ、お姉さん!」

振り向く。

「うなじのとこ、切り忘れかなぁ?揃ってないとこありますよ」
「え?ああ。床屋の腕が悪かったかな」
「あたし、そこの門を曲がった先で、ヘアサロン始めたんです。良かったら今度来てください。うんとサービスしますから!」

眩い金髪の彼女は目を輝かせている。答えず、私は背中越しに手を振って店を出た。

恭しくドアが閉まる。その拍子に風が舞う。ショーケースに映る自分の髪は、確かに少し不揃いだ。背中を向けて、数歩進む。すぐに立ち止まる。空を見上げる。裸になった木々が空へ伸びている。

どうかなるべく早く、この痛みが鈍っていくように。

今度こそ自分に向けて言い聞かせ、私は大通りを後にした。


  • 最終更新:2018-01-28 19:42:59

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