スタンド・バイ・ユー

此処でオレに課せられる仕事はそう多くない。たまには他も舞い込むが、殆どはルーチンワークだ。自分が整備して送り出した義肢が、数日後に再び戻ってくるから、それをまた整備してやって、送り出す。これを数人分。そのルーチンワークでさえ、チンピラ相手に慣れちまっていた最初の頃は躓きがちで覚束なかったが、最近はもう、要求される精度と適度な手抜きとの折り合いをつけられるようになった。
こんないらん努力をしてる訳が自分でもよくわからんが、高給に釣られちまったもんはしょうがない。初っ端こそメイガスとかいう奴等の雰囲気と重圧にブルッちまったが、どうやら協力者でい続けるか、機密保持のための記憶処理さえ済ませりゃ、この陰気な組織は見かけによらずあっさりと辞められるらしい。オレなら断然後者を選ぶ。世界線の安穏とかなんとか、難しいことは考えられないし考えたくもない。借金さえ完済したら、こんなところとはオサラバだ。どっかしらの南の島で、抱き心地のいい女を侍らせて、此処で舐めてるような安酒じゃない旨いのを呑んで、金賭けてポーカーでもやって、日がな一日遊んで暮らしてやる。

そう思っていた矢先、だ。

「ナオザト。お前さん、結構筋が良いようだな」
「はあ、そうか?」

オレを呼び出した整備班長、ヒテシュのジジイは、老眼鏡を掛けたり外したりしつつ時代遅れのラップトップを眺めている。サッサと義眼でも入れちまえば良いのにと思いつつ、以前そんなことを言って杖でしこたま打たれたことも併せて思い出したので、口に出すのは止めておいた。

「自分じゃ分かんねえけどなー、まあなんつーか、いわゆる天才ってヤツ?」
「調子に乗るな、青二才。いくら筋が良くても、それが腐るか生きるかは、お前さん次第だぞ」
「へーへー。で、用ってなんスか?もしかして昇進とか?困るぜ、オレ長居する気さらさらねえんだからよ」
「たわけ、調子に乗るなと言ったばっかりだぞ全く。仕事だ仕事」

ずい、と近すぎる距離に差し出されたディスプレイには、一人の女が映っていた。



「いやホント、丸っきり好みじゃねえんだよな。成人してるかどうかも怪しいガキじゃねえか、アレに懸想してる奴がいるとすりゃ、そいつぁロリコンだロリコン」
「阿呆を抜かすな。彼女は確かにお前さんより歳若いが、““機関””の所属歴だけで言えばお前さんの先輩に当たる。そもそも、仕事に好みも何も関係あるか!」
「大いにあるね!モチベーションは大事だろ!?」

面倒な事になった。ディスプレイの女は「サエグサ」という呪術班の人間らしい。追跡部門とこのボス“澆薄なるメイガス”の代わりに呪いを受けて、左膝から下を欠損したそうだ。さっき病室のカメラ映像を見せられたが、なんつーか……筆舌に尽くしがたい。ガキみたいな細い喉から上がる悲痛通り越して絶望そのものみたいな叫び声を聞いて、つい同情心が出ちまって「気の毒だな」とマジトーンで漏らしたが最後、あれよあれよという間にそのサエグサへの面会が取り付けられちまった。冗談じゃない。もう仕事受ける前提じゃねえか!

「心配するな。受けたとて、お前さんが担当するのはあの子の普段遣いの左脚だけだ。実戦用の義足は当面儂が担当する」
「爺さん直々に?」
「あの子の使う術は本来一人で使役するものではないのだ。それを一人でこなすとなれば、負荷もそれなり。その負荷に耐え得る義肢の整備というのは、難度が高くてな」
「つまり、若造じゃ力不足ってことか」
「そういうことだ」

ちょっとカチンと来る言い方だが、事実だろう。馬鹿でかくてカネ・ヒト・モノに富んだ““機関””が頻繁にそんなギリギリの闘いをするとも思えないが、現に一度そのギリギリが起こったから、サエグサという女は脚を失ったわけだ。メイガスへの呪いを肩代わりするような、ギリギリのところにいる戦闘員サマらしいサエグサが、前線で整備不良によって四肢のコントロールを失うようなことがあっては、それこそこの組織の根幹を揺るがす事態になりかねないとか、そういうことだろう。

「ほれ、着いたぞ。尤も病室というより牢獄だがな、これでは。ジェンマ!」

廊下から病室を眺めていた背の高い女が、長い緑髪を揺らしながら振り返る。

「チャオ、シニョーレ。後ろが言ってた整備の子ね?エグエグ、今は安定してるわよ」
「おお、そうか。先ずは一安心といったところだな」
「ええ。ただ……可哀想に。彼女、呪いへの耐性が強いから気絶も出来なくて、三日三晩ずっと叫びっぱなしだったのよ。話はできるけど……体力の消耗が激しいから、上司としても友人としても、できることなら延期を願いたいのだけどね」

言って、サエグサの上司は再び病室を見遣る。強化ガラスで隔てられた部屋の中央には、ベッドに拘束されているサエグサの姿がある。昨日見た映像では、猿轡を噛まされ拘束されているにも関わらずベッドを揺らし喉を切るほど叫び、よく分からない力でカメラのレンズを割ったりしていたが、今は安静状態のようだ。

ガラスの向こうをしばらく気遣わしげに眺めていたジェンマは、唐突にこちらに向き直って微笑んだ。

「ま、エグエグ自身の希望だものね。正気を取り戻して一発目が『班長、義足の手配を願いたい』だったのには呆れたけど、彼女らしいといえばらしいわ。そういうわけだから頼んだわよ、ナオザト君?私の可愛い妹分に、オートクチュールの靴を履かせてあげてちょうだいな」

ぽん、とオレの背中を叩くと、カツカツと高いヒールの音を響かせ、呪術班の長は去っていく。正直、どタイプだ。どタイプ過ぎて逆になんも言えなかったが、兎に角全てがどタイプだ。盛り上がった胸、引き締まった尻、長い脚、緩いウェーブの緑髪、それらをまとめる、健康的に焼けた肌。たまらない。抱くならあんな女がいい。呪術班と関わってりゃ何度もあの女に会えるのだと思うと、これはもう完全に仕事を決められちまったとしか言いようがない。

「鼻の下を伸ばすな、だらしない。お前さんの考えてることなんざ手に取るようにわかるが、サエグサと話してからにしろ。お前さんは良くても、あの子が気に入らんかったらこの話は無しなのだからな」
「ぐ……!」
「いいからさっさと行け。真剣に話せよ。あと、ジェンマは既婚子持ちだ」
「ハァ!?」
「はよ入れ!!!」

乱暴に扉を閉められる。一瞬で希望を打ち砕かれケツに蹴りを入れられてリノリウムとキスする羽目になったが、サエグサからは何の反応もない。せめて笑われた方がいくらか気が楽だった。

「……ハジメマシテ、サエグササン」
「……」
「えー、オレはバリー・ナオザト。義体技師で……って説明いるか?いらねえよな、そうだよな、アンタの要望なんだもんな」
「……」
「……ハア」

返答はない。病室は静まり返っている。唯一の音である微かな呼吸音は、サエグサの着けているマスクから漏れているのだろう。果たして起きてるのか?耳は聞こえるのか?眼は包帯に覆われている。黒いベルトが身体を拘束している。……およそ病人怪我人への処遇ではない。これでは誰が見たって、丸っきり囚人か狂人の扱いだ。

「なあ、サエグサさんよ」
「……」
「アンタも災難だな。ソートー優秀な呪術師って聞いてるけど、それがこんな扱いなんてよ。オレ知ってんだぜ、呪術師ってのは“先天”が殆どなんだってな。こんな扱い受けんなら、能力なんて持って生まれなきゃよかったとか、思っちまうんじゃねえのか?まあ、オレは無能なもんでその辺は分かんねーけどよ」
「……」
「こんなとこ来なけりゃ、上手いこと力使って大儲けだったろうにな。まだ若えのに殆どの手足無くして、それでもまだ戦う気なんだろ?何のために?それは、そんな思いしてまで守る価値があるモンなのか?理解できねえ。まあ、乗りかかった船というか、拒否権とかあってねえようなもんだし、仕事はキッチリやるからよ、そういうわけでよろしく頼むわ」

聞こえていたらブン殴られそうだが、これだけダメージを受けていれば呪術だろうが格闘技だろうが、そう簡単に繰り出せないだろう。話は終わりだ。相手に話すつもりがないならこれ以上ここにいても意味がない。気に入られるわけないだろうが、それはそれでいい。オレはドアへ向かった。

「……この、へやを」

ピキ、と音がした。

「出ては、いけ、ない」

声が途切れると同時に、オレを追うように夥しい数の光の糸が病室に張り巡らされていく。振り返るとサエグサが、糸の中心で光の繭に包まれていた。

「な、なんだ、起きてたのかよ!」
「いっきゅう、結界、うまがくれ……すま、ない……編むに集中、せざるを、えず……」
「結界!?オイ、出るなってどういう……」

言い終わる前に床が揺れた。そう認識するや否やそこかしこからサイレンが鳴る。見たことも聞いたこともない状況だが、とにかく本能的に“ヤバい”ということだけは悟った。再びサエグサに目を向ける。何をしたのかひとりでにベルトが外れる。懸命に身体を起こそうとするサエグサに慌てて手を貸すと、青い唇が微笑んだ。

「笑ってないで説明してくれ!一体何が起こってるんだ!」
「熊、は……一度、えものを、自身のものと、定めたら……っ、かならず、奪い、かえしに、来る……」
「熊!?」
「メイ、ガスを……仕留め、そこねた、手合だろう……かれと、私を……探して、いる……ッ」
「はッ!?だったらオレだってここにいると……」

抱き起こしたサエグサの目元から包帯が落ちる。

『ナオザト君、無事ね!?』

スピーカーからの声に弾かれたように窓を見やると、ジェンマが険しい表情でこちらを見ていた。その背後に完全武装した粛正部隊が控えている。

『いい?私の身に何が起こっても、絶対にその部屋を出ないで。今、私とサエグサで守るそこは““機関””の中で、メイガス達の部屋の次に安全な場所なの。何があっても、私たちがあなたを守り抜きます。今は、それを信じてそこに居て』
「おいおい、何があってもって……」
『心配いらないわ。私たちは世界の守護者、誇り高き““機関””の呪術師。こういう時、どうすべきかはよく分かってる。“自分のやりたいようにやる”……それだけよ』

ジェンマが言い終えた途端、澱んだ空気の流れが彼女目掛けて襲いかかった。翳された手によって進路の逸れた見えない弾丸は、乱れて粛正部隊をブチ抜いていく。窓に血が飛び散る。それでも部隊は果敢に、窓越しには見えない“何か”へと立ち向かっていく。ジェンマが何かを口遊む。窓の血飛沫が巻き戻したように剥がれて形状を変え硬化ていく。現れた血のナイフを走り抜きざま手にして隊員が跳ねる。切る、裂く、弾かれる、血の槍が現れる、穿つ、刺す、抉り抜く。そうまでしているが相手の姿は判明しない。何が起こっているのか、此方からでは全く把握できない。

「ああ、くそッ!武器、武器、ブキ、何もねえ!当たり前だ!病室だぞ此処!しっかりしろオレ!」
「……落ち、ついて、ナオザト殿」
「んな悠長なこと言ってる場合かよ!目の前で人間が殺されてんだぞ!?アンタはこのヘンな糸に隠れてりゃいいが、オレは臆病者になりたくねえ!ガキの頃の夢は海兵隊だったんだッ!海兵隊知ってるか!?勇敢な人間しかいねえんだぞ!!」
「海兵隊、のことはよく、存じ上げないが、貴殿の、彼らへの、ひたむきな敬意は、了解した。が、そうではなく……」

ガンッ!と大きな音を立て、ジェンマがガラス窓に叩きつけられた。背中しか見えないが、その四肢が苦悶から逃れようと本能的に暴れている。何をされているのか、叩きつけられる度に窓に血痕が飛ぶ。

「ジェンマ!!!!!」
『ァ……あ、ァ……!』

何かの拍子に電源の入ったマイクが、ジェンマの絶望をありありと伝えてくる。もう我慢できない。そもそも、守ってくれだなんて頼んでいない。オレはたまたま此処に居合わせただけの無能力者で、オレの代わりなんて幾らでもいる。廊下で死んでいく粛正部隊の連中と自分のどこに違いがあるっていうんだ?普段は確かにいけすかねえ連中だが、だから自分とは違うだとかバカみてえに死んでもいいだとか思えない。気を逸らす以外の事が出来なくても、或いはそれすら叶わなかったとしても、此処で自分のような人間がゴミのように死んでいくザマを見せつけられるよりはマシだ。

「ナオザト殿」

ロックに指を掛けたまま振り返る。

「頼みが、あるのだ。手を貸していただきたい」

はらはらと繭が解けてゆく。落ちていく光の糸の向こうの、その双眸と、目が合った。



「…ぇ……ぐ、さ……」

見開いた目でオレたちをとらえたジェンマが、血と共に嘆きをこぼす。そりゃそうだ。世界で2、3番目に安全な部屋をあっさり放棄しちまったのだから。廊下は血の海だ。屍すら、ヤツに喰われでもしたのかもうどこにも残っていなかった。情けねえことに、アレだけ臆病者がどうとか大見得切ったオレの膝は、馬鹿みたいに震えてやがる。対して抱えたサエグサは、ジェンマを捕らえる黒い獣を動じることなく睨んでいた。

「“羆”。貴殿の故郷の動物に例えるならば、さしずめ“グリズリー”か。視認出来ているだろうか」
「……おう、そりゃもうバッチリと」
「『午隠』で呪いの実視を叶える眼を貴殿に付与している。が、私の“快復”も含め飽くまで一時的なもの、あまり時間が無い」
「お、おう……しかし、それでオレはどうすれば……」
「案ぜられるな。導かれるがまま行動すれば、貴殿に危険は及ばない」

こちらに気づいた獣が、ジェンマを投げ棄ててゆらりと向き直り、

「もう……十分……」

突進してきた。

「危険なんですがァアア?!!?!?」

瞬間、何かに吊られるような感覚がしてオレの身体は宙に浮く。違う。吊られたんじゃねえ。跳んだんだ!オレが!

「何だこりゃ!?」
「私が貴殿の一挙一動を操縦している。自由を奪い相済まないが、暫く辛抱願いたい」

廊下の天井に左手と両足をつく。まるで時間を止めでもしたみたいに着地できたが、これもサエグサの糸のお陰なのか?残った左腕と謎の力でオレにしがみつくサエグサは、こちらをちらりとも見ず獣を見据えている。抱える右腕に力を込めると青白い横顔がわずかに弛んだ。眼下で獣が咆哮する。オレは糸の求めるままに天井を蹴る。空中で前転し、凄まじい速さで飛んでくる爪をブーツの底で受ける。その吹き飛ぶ勢いのまま距離を取る。着地。血の脂で随分後方に滑った。

「サエグサさんよ、流石に丸腰だと分が悪いんじゃねえか?アンタの上司みたく、ナイフとか槍とか作れねえの?」
「我が術は結界特化、兵仗の創造には不向きゆえ班長の用には扱えない。殲滅ではなく鎮圧であれば幾らか遣り様がある故、それを目標とする」
「なるほど。よく分からんがオレが考えてるほど簡単じゃないってことだけは分かった」
「巻き込んでしまい申し訳ない」
「そうでも」

腹を括る。

「ねえよ……ッ!」

前へ跳ぶ。飛んでくる左ストレートを躱した勢いのまま背後へ回る。サエグサが何事か呟く。振り向かれる前に退いて距離を取る。

「オレだって、何だかんだずーっと蚊帳の外だったことにムカついてたんだ。むしろ感謝したいくらいだぜ、サエグサ」
「そうか。楽しんで頂けているのであれば呪術師冥利に尽きる」
「……お前、案外ノリ良いんだな」
「そうだろうか」

右、左、上へ跳ぶ、下へもぐる。グリズリーの形をした靄の動きは最初より随分鈍い。いや、鈍ってきた?よく見ると、細い金の糸がヤツの体に絡みついている。サエグサが呟くたび、それらの糸は増えていき、徐々に自由を奪っているように見えた。オレたちはヤツの猛攻を一発残らず全ていなし、再び天井へ貼りついた。まるで昔読んだマンガの世界だ。呪いに自我があったなら、さぞかしヤツはおかんむりだろう。

「頃合だ。そろそろ幕引きとしよう、ナオザト殿」
「おう。次はどうするんだ?」
「私が降りる」
「は?」
「然らば、ナオザト殿。義肢の打合せはまた後程」
「ちょちょ、ちょっと待て!」

冗談キツイ。が、思わず顔を見ると、今度はサエグサもまじまじとオレの顔を見ている。

「心配要らない。最悪貴殿への依頼が増えるだけだ、死にはしない」
「止せ、そういうのは冗談にならねえ」
「“ノリ”が良いと言ったのは貴殿だ」
「悪ノリってんだよそれは!」
「優しいのだな、ナオザト殿は。だがこればかりは譲れない。そうでもせぬ限り、術の発動に必要な間合いには入れぬのだ」
「……ああ、そうかい。そうかい!分かったよ!」

全身に力を込める。サエグサの表情が急に険しくなったと思いきや、すぐ驚愕に転じ、最後に諦め混じりの微笑みに変わった。

「意外とビリっと来たぜ。呪い解くって感電みたいなものなのか?」
「……なんという御仁だ」

オレを取り巻いていた金色の糸が、崩れてパサパサと落ちていく。

「どうよ、上手いもんだろ」
「ああ、貴殿には呪術の才がある。だが二度と試みないで頂きたい。返りで私が死ぬ」
「マジか」

血溜まりに着地したオレたちを見て、グリズリーが歓喜に打ち震えた。真っ直ぐ向かってくる。ニイッと笑った口の端から、既に牙が見えている。

「さあ、もう逃走は叶わぬぞ」
「おっかねえ。何とかしてくれサエグサ」
「仕方あるまい。任せ給え」

獣が大口を開けた。そのまま突っ込んでくる。喉の奥は暗澹……喰われる!

思わず前屈みに瞼を閉じてしまったが、衝撃はいつまで経っても来なかった。恐る恐る目を開けると、金色に輝く光の帯が、黒い靄を縛り上げていた。

「一級結界『午隠』……“操縦”も“眼”も“快復”も飽くまで副次的なもの。『午隠』とは星の運び。神柱へ奉る、糸で紡ぎし祭壇である」

腕の中のサエグサの声が響き渡る。

「鎮り給え、荒ぶる神よ。形奪われ偽りの器へ堕されし御魂、猶も穢す事勿れ。吾は汝の名を繁く呼ばう者、吾は汝の由を深く知る者。眠り給え。聴し給え。雅量たる神よ、御身は永く祀られよう」

天を仰いで獣が喘ぐ。光の帯が幾重にも暗黒を包み、その姿が見えなくなる。やがて慟哭は小さくなり、途切れがちになり、絶え絶えとなり、徐に縮んだ光の塊がそれこそ“繭”の体をなす頃には、もう何の、禍の気配も感じられなくなった。

サエグサの代わりに手を伸ばす。乾いた繭は素直に、オレの掌の中へ落ちた。

「……終わったのか」
「そのようだ。……こちらも、解けはじめて、いる」
「え?」

サエグサの瞳が、急に生気を失い始める。そういえば“快復は一時的なもの”とかなんとか言っていたような。だとすれば……待て、相当マズイのでは?会話もままならなかったあの状態でこんな重たげな術使って、大丈夫な訳がない!

「ナオ、ザトどの……すまな、い、少し……疲れた……」
「おい待てサエグサ、待て!寝るな!」
「……ゆる、し………」
「サエグサ!!」
「寝かせてあげなさい」

力尽きたサエグサを抱えて振り返れば、ジェンマが平然とヒールを鳴らして近づいてきた。……アンタ、さっきあのバケモンに散々蹂躙されていたのでは……

「あーあ。折角久々に大技繰り出せるかと思ったのに、エグエグに見せ場取られちゃったわ。ま、しょうがないわよね。“やりたいようにやる”のが私たち““機関””の呪術師なんだもの」
「……無事だったんすか」
「当たり前よ、じゃなきゃ班長なんて勤まらないわ。て、いうか!」

ずい、と鼻先に人差し指を突き立てられる。

「何エグエグに無理させてくれちゃったりしてんのこの脳筋男ッ!!!」
「えー……」
「いーい?アンタが人間と思い込んでたアレ、全部私なの!私の血!私の道具!血の海はわ・ざ・と!下をごらんなさい、綺麗さっぱりでしょ!!」
「ほ、本当だ……」
「『何があっても出るな』って言わなかったかしら?エグエグだって私のやることが分かってるから『出るな』って言ったはずよ!それをあんたが……あんたが……放っといたら勝手に飛び出して犬死にしてたでしょうね!床に頭ついてエグエグに感謝なさいッ!!」
「班長……」
「何よッ」
「とりあえずそのエグエグを病室に……」
「あ……ああ、ええ、そうね!ごめんエグエグ!」

慌ただしく走ってくるヒテシュのジジイと衛生班の面々を尻目に、オレはサエグサの寝顔を見る。疲れ果てている筈なのに、その顔はどこか晴れやかだった。



「器用なのだな」
「器用じゃなきゃ、義体技師なんて務まらねえさ」

ショリショリとリンゴを切り、上手いこと剥いて形を整えてやる。

「ウサちゃん一丁上がり」
「……貴殿は、私を何歳だと……」
「歳は関係ねえよ。可愛いだろうが、ウサちゃん。ガキの頃オレが熱出すたびに、オレの婆ちゃんがこうやって剥いてくれたんだ。懐かしいなァ。ほれ」

ずいと皿を差し出すと、諦めたのかサエグサはウサギを1つ手にとって、もそもそと鼻先から食べ始めた。

サエグサが隔離室から一般病室へ移るのにそう時間はかからなかった。どうやらあの靄、元は本当にただの呪いだったのを、なんとサエグサが結界と呼びかけで、いっぱしの“神”にしちまったらしい。生まれたばかりで存在が曖昧とはいえ神は神。繭に納められた神は、サエグサのことを気に入ったのか、治癒のスピードを速めているらしかった。神ってのはそんなに簡単に生まれるものなのか?とも思うが、アイツの故郷、オレの祖母の生地でもある国では、そういうもので良いようだ。けしかけてきた呪術師本人は、観測班によって先日死亡が確認された。大切にされる喜びを知り、かつての主にいいようにこき使われていたことに気づいた奴隷が、力を持ったらどうするかってのは、まあ想像に難くない。そうなるのも道理だろう。

「しかしよ、呪術師の戦いなんてオレぁ初めて見たぜ。うまく言えねえけど、お前ら本当に世界守ってんだなあ」
「前線に於いては、あの様に振る舞えることはそう多くない。故に私は脚を失った。此度恙無く事を終えられたのは、幸い地の加護篤き““機関””の敷地内であったことと、貴殿の介添があればこそだ」

文句を言っていた割に気に入ったらしく、サエグサは黙々とリンゴを食べ続けている。

「……悪かったな」
「む?」
「オレのせいで無理させちまった」

自分より勇猛に戦ったヤツに対してこんなことを言うのは失礼かもしれないが、その身体は小さくて、本当に、全く、あんな無理をしていい人間には思えない。何のためにサエグサが闘っているのかは知らないが、少なくともあの日に関しては、オレさえ黙って従っていれば避けられたのだ。

サエグサがリンゴを皿へ置く。

「……皮肉と取られたのであれば訂正しよう。貴殿ばかりの所為ではない。班長には申し訳が立たないが、私としても、目にして頂く方が手っ取り早かったのだ」
「え?」
「私の答えは、貴殿にはどう映っただろうか」

その問いかけにオレは、隔離室で吐いた暴言の数々を思い返す。言葉に詰まっているとサエグサは表情をゆるめ、窓の外へ目をやった。

「私は持たずして生を受けたことがない。故に持たず生まれた、貴殿らの苦悩苦労は知り得ない。されどそれらの労苦が貴殿らの生きる道を妨げるのならば、そして其へ抗う事が叶うのならば、其が為に我が能力を求められたならば、私は勇んで、その求めに応じたいのだ。例え自身の何を失おうとも、貴殿の敬愛する“海兵隊”殿には遠く及ばずとも、貴殿が己を顧みず助力を試みた様に。深い理由がある訳ではない。守る価値など私に決められる筈もない。偏に、それが私の“信念”“矜持”であるだけだ」

あの時サエグサは『午隠』の成就に集中していて、返事すら出来ない状況だった。オレだって聞いていなくていい、聞かせるつもりもないという気持ちで吐いた言葉だ。それでも、聞いていたのか。そして、あの妄言に対して、腹を立てるでも失望するでもなく、こんなにも真摯に向き合っていたのか。

……ちくしょう。

「……言葉にすると些か面映ゆいな。どうだろう。貴殿のお眼鏡に適うと良いのだが……」

真昼の明るい日差しが病室に射す。逆光気味のサエグサは、眩しそうに目を細めている。オレは、サエグサの左腕を掴んで引き寄せた。軽すぎる身体は、簡単に傾いた。

「ナオザト殿?」
「……」
「……大丈夫だ。私は一片の曇りもなく、己が意志で動いている。貴殿は好い御仁だ。ゆえに私の身を案じて下さるのだろうが、心配されるな。私の事で貴殿の顔の曇るようなことがあるのは……」
「サエグサ。今決めた。オレは何があっても、一生お前についていく」
「……何?」

怪訝そうな顔をするサエグサを、力一杯抱きしめた。

「惚れちまったんだ、サエグサ。お前の力になりたい。左脚だけと言わず、義肢全部、オレに預けてくれないか。絶対に失敗しない。こう見えて筋は良いって言われてんだ」
「……落ち着き給え、ナオザト殿。貴殿は今動揺している。精神的な衝撃は後から訪れる事も稀ではない。至急医師の診察を受け給え」
「オレは冷静だ!冷静に考えて、お前が好きだと思い至った。サエグサ、どうか前向きに考えて欲しいんだが、オレと結婚してほしい。いや急だよなスマン、まずはお付き合いからだよな!」
「貴殿に義肢を任せることについては吝かではないが、婚姻交際についてはお断りする。腕を解き給え、バリー・ナオザト。さもなくば班長が、貴殿の血液で塔でも建てることになる」
「おっかねえ!何とかしてくれサエグサ!」
「承服しかねる」

こうしてオレは““機関””の誇り高き呪術師・サエグサの専属義体技師となった。



  • 最終更新:2018-01-28 19:47:24

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